近年、私たちの生活は急速にデジタル化し、パソコンやスマートフォン(以下、スマホ)は日常に不可欠なものとなりました。それに伴い、個人が所有するデジタルデータやオンラインアカウントは膨大な量にのぼります。しかし、持ち主が亡くなった後、これらのデータを所有する方が亡くなると誰もアクセスできず、事実上「使えなくなる」ケースが増加し、遺族にとって様々な問題を引き起こしています。本稿では、このような「デジタル遺産」の概要と、それが利用できなくなることによって遺族が被るデメリットについて詳しく解説します。
デジタル遺産の概要
デジタル遺産とは、故人がパソコンやスマホなどの情報端末本体、あるいはクラウド上などに遺した電子データの総称です。これらは大きく分けて以下の3つに分類できます。
- 端末内に保存されたデータ
- 個人的な記録: 写真、動画、音声ファイル、メール、チャット履歴、日記、アドレス帳、カレンダーの予定など。これらは故人の思い出や交友関係、日々の活動を知る上で重要な手がかりとなります。
- 作成物: 趣味で作成した文書、イラスト、音楽、プログラムコード、ブログ記事など。これらは故人の才能や個性を伝えるものであり、場合によっては著作権などの権利が発生していることもあります。
- 個人情報・資産関連情報: パスワードやIDの一覧、ネットバンキングのログイン情報、クレジットカード情報、保険証券の控え、エンディングノートなど。これらは相続手続きや死後事務処理に不可欠な情報です。
- オンラインアカウント・サービス
- コミュニケーションツール: SNS(Facebook、X(旧Twitter)、Instagram、LINEなど)のアカウント、メールアカウント(Gmail、Outlookなど)。これらは故人の交友関係を把握したり、訃報を伝えたりする際に役立ちます。
- 金融関連サービス: ネット銀行、ネット証券、FX取引口座、仮想通貨(暗号資産)取引口座、オンライン決済サービス(PayPay、楽天ペイなど)のアカウント。これらは故人の資産に直結しており、相続財産として適切に処理する必要があります。
- コンテンツ・サブスクリプションサービス: 音楽配信、動画配信、電子書籍、ゲーム、ソフトウェアなどの有料サービスのアカウント。これらは契約状況を確認し、不要であれば解約手続きが必要です。
- その他: オンラインショッピングサイトのアカウント、クラウドストレージサービス(Google Drive、Dropboxなど)のアカウント、ブログやウェブサイトのアカウントなど。
- デジタルコンテンツ
- 故人が購入・作成した電子書籍、音楽ファイル、写真データ、動画データ、ゲーム内アイテムなど。これらは有形の財産とは異なり、その利用権の相続が複雑になる場合があります。
これらのデジタル遺産は、故人の生前の活動や意思を反映する重要な情報であり、適切に管理・承継されることが望ましいですが、現実には多くの課題が存在します。
デジタル遺産が使えなくなる主な原因
故人のデジタル遺産が使えなくなってしまう主な原因は以下の通りです。
- ID・パスワードの不明: 最も一般的な原因です。故人がIDやパスワードを誰にも伝えていなかったり、記録を残していなかったりする場合、遺族はアカウントにログインできず、データにアクセスできません。特にスマホの画面ロック解除のパスコードや、パソコンのログインパスワードが不明な場合、端末内のデータにアクセスすること自体が困難になります。
- サービス提供事業者の規約: 多くのオンラインサービスでは、アカウントは一身専属的な権利とされており、第三者への譲渡や相続を認めていない場合があります。故人のアカウントであることが判明した場合、サービス提供事業者の判断でアカウントが凍結・削除されることもあります。
- セキュリティ対策の強化: 近年、不正アクセス防止のために二段階認証などのセキュリティ対策が強化されており、故人のスマホが手元にあっても、認証コードを受け取れずにログインできないケースがあります。
- 法整備の遅れ: デジタル遺産の相続に関する法整備はまだ十分とは言えず、何が相続財産にあたるのか、どのように評価・分割するのかといった点が曖昧な場合があります。
遺族が受けるデメリット
故人のデジタル遺産にアクセスできない、または利用できなくなることによって、遺族は多岐にわたるデメリットを被る可能性があります。
- 経済的な損失
- 隠れた資産の発見が極めて難しくなる: 故人がネット銀行やネット証券に口座を持っていた場合、その存在に気づかず、相続手続きから漏れてしまう可能性があります。特に、ペーパーレス化が進んでいるため、通帳や取引報告書などの物理的な手がかりがない場合、発見はより困難になります。
- 仮想通貨(暗号資産)の損失: 故人が保有していた仮想通貨は、IDやパスワード、秘密鍵などが分からなければ取り出すことができず、事実上失われてしまう可能性があります。仮想通貨は価格変動が大きいため、大きな経済的損失につながることもあります。
- 有料サービスの継続課金: 故人が利用していた動画配信サービスや音楽配信サービス、その他のサブスクリプションサービスを解約できず、月々の料金が引き落とされ続けることがあります。クレジットカードの明細などから判明することもありますが、全ての契約を把握するのは困難です。
- 未受領の売掛金やポイントの失効: 故人がネットオークションやフリマアプリで商品を販売していた場合、未受領の売掛金が発生している可能性があります。また、様々なサービスで貯めたポイントも、アカウントにアクセスできなければ失効してしまうことがあります。
- デジタルコンテンツの利用権喪失: 故人が購入した電子書籍や音楽、映画などのデジタルコンテンツは、アカウントにログインできなければ利用できなくなる可能性があります。これらは有形の書籍やCDとは異なり、「所有権」ではなく「利用権」の購入である場合が多く、相続が認められないケースもあります。
- 精神的な苦痛・負担
- 思い出の品へのアクセス不能: 故人のスマホやパソコンには、家族や友人との写真、動画、メールなど、かけがえのない思い出が詰まっています。これらにアクセスできないことは、遺族にとって大きな精神的苦痛となります。特に、闘病中の記録や、遺族へのメッセージなどが残されている場合、それを見ることができない悲しみは計り知れません。
- 故人の意思の不確認: エンディングノートや遺言がデジタルデータで残されていた場合、それに気づかなければ故人の最後の意思を確認することができません。
- SNSアカウントの放置・悪用リスク: 故人のSNSアカウントを放置すると、乗っ取られて不適切な投稿をされたり、個人情報が流出したりするリスクがあります。また、故人が亡くなったことを知らない友人・知人がメッセージを送り続け、それに対して返信がないことであらぬ誤解を生む可能性もあります。
- 死後事務処理の遅延・困難: 故人の交友関係や契約していたサービスなどが分からず、関係者への訃報連絡や各種解約手続きがスムーズに進まないことがあります。これにより、遺族の精神的・時間的負担が増大します。
- パスワード解析等の負担: 専門業者に依頼してパスワード解析やデータ復旧を試みることも可能ですが、高額な費用がかかる場合があり、必ずしも成功するとは限りません。
- 情報入手の困難と社会的影響
- 重要な連絡先の喪失: 故人のスマホのアドレス帳やLINEの友達リストにしか連絡先がない場合、葬儀の連絡や形見分けの相談などが広範囲に行き届かない可能性があります。
- 故人の交友関係の不明確化: デジタル上でのみ繋がっていた友人がいた場合、その存在を知ることができず、故人の死を伝えられないままになることがあります。
- 事業継続への支障: 故人が個人事業主やフリーランスであった場合、取引先情報や業務データ、会計情報などがパソコン内にしか保存されていないと、事業の引継ぎや清算が困難になることがあります。これは、事業の価値を損なうだけでなく、取引先に迷惑をかける可能性もあります。
- 相続財産の把握漏れ: デジタル遺産の中には、著作権や特許権といった知的財産権が含まれていることもあります。これらに気づかなければ、適切な相続手続きが行われません。
まとめ
デジタル遺産は、現代社会においてその重要性を増していますが、その取り扱いについては法整備や社会的な認識が追いついていないのが現状です。故人のパソコンやスマホが使えなくなることは、遺族にとって経済的損失、精神的苦痛、情報入手の困難など、多岐にわたる深刻なデメリットをもたらします。
このような問題を未然に防ぐためには、生前の対策が不可欠です。重要なIDやパスワードを信頼できる人に伝えたり、エンディングノートに記録したりする「デジタル終活」の重要性が高まっています。また、サービス提供事業者側も、遺族からの問い合わせに対する対応マニュアルの整備や、死後のアカウントの取り扱いに関するポリシーを明確化することが求められます。
デジタル遺産の問題は、誰にでも起こりうる身近な問題です。この問題に対する理解を深め、生前から適切な準備をしておくことが、残された家族への大きな思いやりとなるでしょう。
